微積の楽器遍歴と将来のお話

みなさまごきげんよう、課題溜める系Youtuber微積です。

 

最近課題を溜めすぎてあまり眠れておらず、フラフラしながらバイトに行っています。

 

さて、題名にある通り、今回は私の楽器遍歴について書いていこうと思います。

みなさんご存知の通り私は自称音楽家で一時期本気で星野源を目指していました。

 

 

 

(ちなみにバイトは普通に受かって現在も楽しく働かせてもらってます。)

 

履歴書にこんなことを書くレベルで自称いろんな楽器が弾ける人の微積君ですが、このブログでは彼がどんな人生を送ってきたのかを音楽を軸に書いていきます。どうかお付き合いくださいませ。

 

 

2才か3才の頃、親戚の結婚式

2才だったか3才だったかの時に親戚の結婚披露宴がありました。

息苦しい洋服を着せられたのだけは覚えているのですが、私が音楽の世界に入るきっかけがこの時になります。(チョット大袈裟)

 

沖縄の披露宴というのは、最後は大体エイサーとカチャーシーで幕を閉じがちです。

 

当時2,3才の微積ちゃんは大人たちが大きい太鼓を叩いているのを見て、椅子の上に立って皿とフォークで太鼓を叩く真似をし始めたそうです。

それを見た親やら親戚が「この子は音楽をさせた方がいいね」って思ったらしいです。これが最初です。

 

 

ピアノとの出会い

「この子には音楽をさせるぞ〜〜」と張り切った両親、とりあえずエイサー繋がりで琉球舞踊の教室に微積ちゃんを連れていきました。

しかし微積ちゃんはまっっっっっったく興味を示さず、両親は渋々帰ります。

 

琉球舞踊じゃなかったか〜〜」

とまあこんな感じでいろんなところに連れてってくれたらしく、最終的にピアノに落ち着きました。おそらく3,4才の頃です。

(ここで琉球舞踊をやっていたらまた別の人生だったとは思いますが、やってなくてよかったと思っています。)

 

家から割と近いところにピアノ教室がある幼稚園(?)があったので、そこに通い始めることになりました。

他のガキには厳しい先生方がなぜか私には優しかったのを覚えています。

 

そしてある日、家に帰ると父が買ってきた電子ピアノが置いてありました。

ちなみにこの頃は鍵盤を見てもどこがドの音かわからないレベルです。

(今はもちろん目を閉じてもわかりますがね😤)

 

今思えば、ピアノをこの先続けるかもわからんガキに電子ピアノを買い与えた両親の判断は神がかっていたと思います。

(親に感謝するのとかダサいと思っている思春期の私でもこのことに関してはたまに感謝してます。)

 

これは後から知ったことなのですが、微積父は高校時代軽音部でキーボードを担当してたらしく、実はピアノが弾けたのです。(3曲だけ)

 

あとちなみにこの時のピアノはつい最近まで現役で弾いてました。妹よりも付き合いが長いです。

 

そして自称ピアニストになった私は小学校中学校共に合唱があれば伴奏を任され、気付けば歌がダメになっていました。

 

 

吹奏楽部に入る

小学校高学年になり、私は木琴を叩きたい時期になりました。多分思春期です。

小学校で木琴が叩ける場所、そう、音楽部です。

しかし当時の音楽部には男子部員がおらず、恥ずかしくて入部できなくて悩んだ私は気付けばバスケ部に入っていました。(←???)

しかし運動がまるでダメな上に練習もまともにやらず、試合にも出ないままだらだらと続け、フェードアウト退部しました。

 

その後なんとか男友達を数名引き連れて音楽部への入部を果たしました。

 

音楽部ではパーカッション(打楽器)の担当になり、毎日太鼓やら木琴やらを叩きました。

(余談ですがこの時めっちゃモテてました。羨ましいです。)

 

そしてそのまま中学に上がり、吹奏楽部に入ったあとも打楽器を続け、全盛期は県内の中学校60校ぐらいの中でベスト3に入り、県代表になったこともあります。「我県代表打楽器奏者ぞ?」ってたまに言います。

 

吹奏楽では5年間かけて打楽器の基礎を固め、その経験が現在やっているドラムに活かされてます。

 

 

中1、モテたくてギターを始める

 

中一の頃、モテたくてギターを始めました。

ギターを始めるには何が必要か調べまくって、1.4万ぐらいで中古のやっすいギターをネットで買いました。父の白髪抜きで生計を立てていた当時の私の全財産でした。

今までに自分の金で買ったものの値段ランキング第三位に入るほどの買い物です。

 

(ちなみに一位は先日買ったn万のギターで、二位は兄にあげたiPadです)

 

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中三の学園祭にて

イキリ全盛期の写真です。

 

学級目標の案を出す時に「勉強一番、挨拶一番、メガネ一番」て言って大ウケをかっさらったのもこの時期です。

 

挫折、そしてベースを始める

 

私がギターを弾き始めると、兄もギターに興味を持ち始めました。

 

そして、私よりうまくなりました。

 

敗因は、楽譜が読めるか否かです。

私は少しだけ音感があったので、ある程度の難易度なら耳コピができました。しかし細かいフレーズなどには限界があり、ずっと耳コピに頼ってきた私にとって楽譜を読むという時間は苦しいものでした。

対して我が家で一番のストイックお化け、兄は楽譜を読むことができました。

すると兄の実力はどんどん上がり、同時に私はギターのモチベが下がっていきました。

 

「もうギターやめよかな...」

 

そう思っていたある日、兄がベースを拾ってきました。

 

「部室に捨てられてたから拾ってきた。普通に使えそうだし。」

 

(そうか、ベースならほとんど単音だし耳コピで全然間に合う!ベースやるか!!)

 

その後拾ってきたベースの修理を行い、毎日兄とセッションをして楽しんでいました。

 

 

 

なんとか短くまとめて今回はこの辺で、いろんな楽器と言うには少ない気もしますがピアノ、ギター、ベース、ドラムに手を出すまでのお話を読んでもらいました。三線とかもやってはいたのですが嫌な思い出が多いため割愛します。

ここまでいろんなのに手を出すと、それぞれの実力が中途半端になったり、楽器屋でいろいろ試奏しすぎてついつい長居してしまったりしますが、楽しさもn倍なのでおすすめです。

 

 

将来のお話

 

過去の話をした次は将来の話をしましょう。

 

2年前、Appleに就職したいという夢と共に高専に入学した私ですが、プログラミングの苦手意識から、ソフト屋さんで生きて行くのは厳しいと思い始めまして、ハード屋さんとして生きていきたいと思うようになりました。

 

ハードの仕事がしたい。あわよくば音楽にも携わりたい...どっちもできる仕事......

そう、楽器メーカーですね。最近は楽器メーカーに就職するって毎秒言ってます。

 

「私の就活はもう始まっているんだ」って思いながらギターを弾いてると課題のことも忘れることができて最高です。

 

 

 さいごに

拙い文章ではあったと思いますがここまで読んでいただきありがとうございます。

こうやって文字にして書いてみるとまじで音楽しかやってねえなって思いました。

そしてこれから先の人生も音楽と共に生きていこうと思いながら今日もギターを弾いています。それでは皆様ごきげんよう

 

 

 

...課題やらなきゃ。